絶叫機械-残酷物語 -4ページ目
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老人と杖

 私の家は西新宿にある、といっても都心たるビル街ではなく、坂を下ったところにある、潰れかけた二階建ての長屋だ。南向きの窓からは、豪奢な都庁舎が見える。私には関係のないものだが。

 私は貧しく、力もなく、能力もない。コンビニエンスストアや、ファーストフードで並んでいると、傍若無人な若者が割り込んできて、前に並んだりする。そういう若者は、細くて、長くて、黒くて、怖い。自分たちより弱そうな者がいれば、それを食う。そういう感じのする、香水臭い若者たち。

 そんなとき、私は、こう思う。

「ああ、下品な場所で食事を摂ろうとするから、こんな罰を受けるのだなあ」

 口に出して言うときもある。

「仕方がない、こんな下品で低劣な場所で食事をすれば、下品で低劣な人間に邪魔をされるのだ」

 高級な喫茶店や、まともな料理店で食事をすれば、入り口に立った私は席に案内され、やってきた給仕に注文をすることが出来る。高い料金は「不愉快にならない」ための対価だ。

 私はそうやって、貧しい生活をしながら、そのような苦界で食事をせねばならぬ自らの身を恥じている。割り込む若者に怒鳴り散らしたところで、我が身は救えないのだ。

 今朝、コンビニでレジの列に並んでいると、汗臭い若者が、度し難き乱暴さで私を押しのけて、飲み物を買おうとした。

 私は右足が悪く、杖をついている、老いぼれだ。押されたときに落とした杖は、カラリカラリと音を立てて転がった。

 驚いて、私はその若者を見た。表情のない顔からは、苛立ち以外に、何の感情も読み取れはしなかった。私のことなど気づきもしないで、ただ身の回りの不快感だけを、感じているかのような顔。

 彼の感じている不快感の原因は、洗ったあとで放置しておいた衣服から発する、雑菌の繁殖した汚らしい臭いと、皮膚の上にぬるぬると溜まった垢と、そして老人を押しやってレジに向かうその行動なのではないか。

 私がそう考えて、怒りを鎮めようとしていると、後ろに並んだ男が、杖を拾って渡してくれた。黒い服を着た男は無表情のまま、若者を凝視している。男の顔は深紅に染まっていた。瞳は赤く、縦に裂けていた。私は何も言うことができず、口をただぱくぱくと動かした。

 男は、私に向かい、かすれた声で、こう言った。

「やっておしまいなさい」

 体の奥底で何かが爆発した。煉獄の焔が股間の一物を燃えたぎらせた。金玉がひきあがり、ギュッと閉まった肛門から脳天までが、赤く灼けた鉄の棒を差し込まれたようにしびれ、全身に鳥肌が立った。私の背筋はメリメリと音を立てて伸び、たるんだ顔の皮には血が巡り、熱く煮えた息が口から漏れた。

 私は杖を握りしめ、大きく振りかぶり、若者の後頭部に叩きつけた。何度も何度も叩きつけながら、このような苦界に生きる我が身の不幸と、若者の不幸を呪った。

 この世界は私が作ったのだ、私が何も言わないからこの世界はこうなったのだ、私が耐えてきたことは何の意味もなかったのだ、この若者を作ったのは私だ。

 この若者は私だ。

 生まれて初めての暴力だった。

 私は失禁していた。

 何度も何度も何度も何度も打ち付けていると、次第に腕に力が入らなくなった。頭から血を流し、うずくまっている若者を見ると、杖を打つ気力も萎えた。私は杖をおろした。

 私は若者に言った。

「お前が、苛立ちを感じている相手は、私じゃない。私が苛立ちを感じている相手がお前ではないように」

 若者は答えた。

「きちがい、警察」

 私は、微笑んだ。

「そうだ、私はきちがいで、お前は警察に行くべきだ。それが秩序というものだし、秩序は守られねばならない。私はこの国が下品で低劣な苦界であるとは思わない、だからお前は対価を私に支払った、そうだろう?私もいつか対価を支払うだろう、だが今はそのときではない」

 若者はうごかなくなった。

「フム、なるほど、これが暴力か」

 私はコンビニエンスストアを出た。

 本当に暴力を振るわねばならぬ相手に、杖を打ちつける為に。

 もう二度と通らぬ道を、私は一歩ずつ歩み始めた。

11月3日夜

 友達が、今日、ごはんをたべながら、怒っていた。

「イラクどう思う」

「ああ、首切られた人がいたねえ」

 私は、新聞を読まないので、ニュースがよくわからない。

 友達は、口にほおばった米をもりもり飲み込みながら、しゃべった。

「たぶん日本でも、勘違いしてる人がいると思う。首相が『テロに屈しないぞ』って言ってるのが、まるで9.11とつながりがあるみたいにさ。関係ないんだ、イラクとアルカイダは。大量破壊兵器だってなかった。ブッシュは、認めてないけどね。イラクの武装勢力は、関係ないのに侵略されたから、来た奴を片っ端から殺してるだけだよ。ひどいことだけど、当たり前なんだ、殺されたから、殺す」

 私は争いというものが、本当に苦手なので、困った。

「きみは、ひどいことをされたら、どうする」

「どういうこと?」

「やってもいないことで、殴られたら?」

「警察に言うよ」

「殴ったのはその警察なんだよ、まあ本当は違うんだけど」

 私は、よくわからなくなった。助けてくれるはずの人が、襲ってきたら、誰に助けを求めればいいんだろう。

「じゃあ、軍隊が、イラクから、出ていけばいいのかなあ」

「そういうわけにはいかないよ、実際いまはテロが起こってしまっているのだから、その声明に従って兵を撤退させたら、国の破滅だね、食い物にされるよ。ま、だからといってイラク人を締め付けてもテロは止まらないしね」

「それじゃ、どうすればいいの」

「さあね、せいぜい自分の死を右や左に利用されないように、気をつけて生きるしかないんじゃないの」

 彼はそう言って、ごはんを食べた。私は、彼の喋り方が、かなり偉そうだったから、なんだか嫌な感じがして、反論しようと思ったけど、何に反論すればいいのか、思いつかなかった。

 誰に反論すればいいのか、思いつかなかったんだよ。

11月20日朝

 夜の廃都で、子供たち同士が二つの集団に分かれて争っている。

 ある夜、おれの所属している団のリーダーが相手方につかまり、私刑を受けた。おれたちは丘を越えて広場へ向かう、すると広場では、拷問を終えた奴らが、方々に散っていくところだった。

 広場に入り、中央のドラム缶に近づく。

 目を潰され、腕の骨を砕かれたリーダーは、ドラム缶に寄りかかって倒れていた。トレードマークの筋肉と、オレンジのオーバーオールが血と小便で汚れている。

 仲間たちは、もう助からないリーダーを見て、次々に笑い出した。鬱屈が溜まっていたのだろう。

 おれだけは、笑わなかった。

 ドラム缶に寄りかかっていたリーダーを、引っ張って寝転がす。もう抵抗する気力もないらしい、かすかに首を振った。

 まず最初に、失った左手首の先に刃物をつけた奴が進み出て、リーダーの肩に刃を沈み込ませた。

 リーダーは「あぁあぁ~」と力ない声を漏らした。

「たすけて、たすけて」

 歯が折れ、裂けた唇から、情けない言葉が出て、そこにいた全員が失笑した。

 "手無し"は真顔に戻ると、更に深く刃を差し込んだ。

「この手は、あんたが切ったんだ」

 その言葉をきっかけに、群れはリーダーを食い尽くした。

「お前がおれの目を潰したんだ!」

「前歯を折りやがった!」

「許さねえ!」

 刃が、棍棒が、靴底が、かつて長だった少年の骨を割り、皮を剥ぎ、肉をすりつぶした。

 やがて広場には、おれだけが残った。

 目の前には、両手両足と性器を切り取られた、肉の塊が転がっている。

 おれは奴の股間のあたりを踏んでみた。何の反応もない。

「こんなんじゃ、もう何もできないな」

 夜は、明けていた。

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