絶叫機械-残酷物語 -2ページ目

『GoGo』 第七話

 バンだかドカンだか、大きな音がドアの方から聞こえて、ブーンって音がするから振り向いたら、右腕が肩の下からなくなった。ぼくは疑っていたけれど、死ぬ寸前は時間が長く感じるってのは本当だね。ゆっくりとリノリウムの床に向かってぶんぶん回転しながら落下してゆくぼくの右腕に、いくつかの弾丸が順番に食い込んで指がちぎれ飛んだところまでがきれいなスローモーション。
 最近のマシンガンは、あんまり早いからダダダじゃなくてブーンって言うんだよ。
 そんな平岡さんの言葉を思い出した瞬間、背中の筋肉がきゅうと小さくなって、体が大きくのけぞった。
 左手は失なった右腕の肘のところを掴もうと握ったり開いたり。
 ちぎれた腕の穴から、手品の万国旗を引っぱり出するみたいに出てくる血が床やら机やらに赤い水玉模様をぶちまけた。
 心臓が耳の下に移動して、ぎゃあぎゃあ叫んでいるみたいに感じる。ぎゃあとひとつ叫ぶたびに、腕の穴から血が吹き出た。
 目をあけたら、天井と蛍光灯らしき光。あたりは真っ白だ。さっき投げ込まれた缶からしゅうしゅう吹き出す煙で、真っ白だ。ひきつる背中を伸ばしながら、体を前に曲げると、煙のすきまから事務所の様子が見えた。
 ぼくの目の前にいた奴は、ドアが吹っ飛んだとき、顔の左半分に三つ穴があいて死んだ。顔の右半分が、若頭のアルマーニにぶち撒けられたから死んだはずだ。若頭は自慢のアルマーニに開けられた大穴からはらわたをどぼどぼこぼして死んだ。はらわたを追いかけて屈んだとき、頭から髪の毛のついた皮が何枚もはじけて飛んだ。今は二人とも仲良く倒れて死んでいる。血だまりが、ぼくの方まで流れてくる。蛍光灯の下でてらてらと光っている。
 内臓の裂けたにおい、糞便と潮の混ざったにおいがした。
 ぼくは立ったままめまいがして、吐いた。
 鼻にまわったゲロがすっぱい、目から流れる涙がしょっぱい。
 ははは、死んだ、ざまあみろ。
 ぼくは生きてるぞ、生きてるぞ。
 びゅうびゅうと腕から血が出て行く。
 ぼくはくるくる回ってリボンみたく血のあとを残す。
 そうだ、三階の平岡さんはもう逃げたかな、無事だといいな。
 あの女が一緒にいるのは腹がたつけど。
 BGMは何がいいかな。
 あいつとぼくが同じ場所で死ぬ方が嫌だ。
 平岡さんの教えてくれた曲がいい。
 しっかり平岡さんを助けておくれよ。
 シューベルトはどうだろう。
 あのひとは強がってるけど根はやさしいんだ。
 平岡さんが教えてくれたんだ。
 ドアの方からガツガツと事務所に入ってくる足音が聞こえる。

 やがて聞こえる蜜蜂の羽音。
 しろいけむりのなかに僕のからだが砕けて散った。

『GoGo』 第六話

 俺の死に様を記録しておいて欲しい、即死でもかまわない、どうして俺が死んだのか、死因を記録して欲しい。たとえばお前が俺に押しあてているその冷たい拳銃で殺されるのなら、銃口から押し出された銃弾が俺の額の皮を灼き捻り切り骨を削り脳細胞のひとつひとつを押し潰しながら頭蓋骨の内圧を上げて後頭部の骨を砕き俺の記憶のいくつかを道連れに後ろの壁と激突する様を、うつろに開いた後ろの穴からこぼれ出す俺の薄汚れた桃灰色の思想を、破壊された神経細胞からの悲劇的な信号を受け取って脱糞し射精し痙攣している俺の体を記録して欲しい。たとえばお前がその華奢な手に犀のペニスの様にねじくれた縄を掴んで俺を縊り殺してくれるのなら、引き絞られる縄が俺の首に食い込んでいくうちに赤黒く染まり膨れ上がる俺の貌を、その上に浮かぶ幾筋もの血管を、しっかりと縄で紅白に色分けされた首を擦れ破れた皮から滲みる血を、記録して欲しい。

 俺は死にたくなかったしこれからも死にたくはないけれどどうせ死ぬのならそれくらいの事は頼みたい。お前がそんなささやかな願いも聞き届けてはくれない人間であることはこの3時間でしっかりと学んだから、これは殺される前のおれの密かなお遊びで、それでどうなることもない決定している俺の死に対する俺のおそれを中和してくれる。そしてお前は俺が誰なのかも知らないまま俺を殺すんだろう、かわいそうな娘。死ぬ覚悟なんてものはなるべくならするものじゃない、俺がここでこうしている間にも本部では俺の救出作戦と銘打った破壊作戦が進行し、俺の救出部隊と銘打った暗殺部隊が結成され、やがてここに硝煙と臓物の臭いが蔓延するだろう。そしておれは英雄として「彼の死を忘れることなく我々は」死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ俺は死ぬ。

『GoGo』 第四話

「眠い眠い眠い眠い眠いあまり眠いので目が覚めた。僕は夕陽が部屋を橙色に染める様を見たくて××××錠をどんぶり一杯も飲んだのではない、不愉快なキモチが額から鼻の横を通って口にすべりこんだ。毛布の端から2本の足がこっちをのぞいている、自分の足だ、夕陽に染まって、きれいだな。夕陽よりも濃い橙の、あれは蝿か。蝿が足のまわりをとんでいる。指が動けば追い払えるのに、くやしいな、どうしよう。蝿に溶かされていまや僕の足は毛布か畳かの区別もつかない、橙色の蝿は。橙色の蝿は、近くに見ても橙の塊でしかなく、それでも僕は橙の蝿と思う。首の動かせない僕には見えないのだけれど、その光のせいでこの部屋がこれほどまでに橙色に染められているのであれば、その元凶たる夕陽はさぞや狂わんばかりの橙色に光り輝き橙の蝿はよろこび舞い踊り世界を橙色にご免涙が止まらなくなったよ」

 と言いながら平岡さんは鼻紙を何枚も取り出して鼻にこすりつけた。

「この詩の素晴らしいところはね、この主人公は死ぬところなんだね、いままさに死なんとするその時立ち現れた幻をね、こうくどくどと、じっちょ、実況中継しているってわけだ」

 事務所の換気扇がブンブン鳴っている。

「このことをはっきりと書かずに表現すると、なんだかじんわりその風景が浮かんでくるだろう?」

 エアコンから乾燥した暖かい風がふいて、ぼくの顔を乾かす。
 平岡さんの事を、事務所の人達は影でホラ岡って呼んでいて、それは平岡さんがいつも、小さな事でも大きく話してしまう性格だからなのだけれど、平岡さんはけして嘘をつこうと思って大きなことを言っているのではなくて、いまみたいに自分で書いた詩を読んで涙するのと同じで、素直な本当に素直な気持ちで喋っているだけなのだ。この前やった片山組のも、盗聴器があるってのは確かに間違いだったけれども、というよりは、全然関係ない奴を3人も殺してしまったけれど、それだって身内を、仲間を守る為の気持ちがあるからそうなった訳だし、なにより平岡さんのまっすぐな目を見れば、悪気がないというのがわかる。

「続けるよ、橙色に染め上げて、今僕と世界の境界線がうすい金色になる。窓から流れ込んだ橙の波が、不正確な形状のまま僕のこめかみのあたりに侵入してくる……新庄、わかるか?」

 ぼくは平岡さんが新庄、わかる?と訊いてくるたびに、わからなくて、わからない自分が恥ずかしくて、中学しか出てない自分が憎くて、平岡さんの情婦の鮫島とか言うあのいつも本を読んでいて平岡さんの書いた詩にごちゃごちゃ文句を言う女が、自分を見下しもしないでまるでボールペンみたいに道具扱いするのを思い出して、泣き出したい気持ちになる。
 くちを結んでだまっているぼくに、平岡さんは言った。

「いいんだ新庄、言葉にならない感動ってのもある。わかってるよ、お前が1番、俺をわかってる。俺はお前が好きだよ」

 ぼくは泣き出しそうになった、手がふるえた、勃起してた。

『GoGo』 第三話 『理解』

 許されない命というものがあったとして人にその命を絶つ権利があるのだろうかと鮫島は自分に問いかけまた目の前の椅子にガムテープで固定され死を待つばかりとなった男のこめかみを手にした中国産の星印のついた人を殺す事のできる炸薬によって鉛の塊を自らの胎内より残酷で抜け目のないうすらさむいだけの外界へと送り出す機構を持ったそれ以外に用途のない器械で左から右へと撫であげながら問いかけたが、憐れにも鼻腔と耳の穴のみを残し顔面の記号という記号をガムテープで隠されたこの小便を垂れ流す為にうまれてきた男はその問いに答える事はできず、無論答えなど期待していない鮫島は男の唸り声に満足そうに頷いてその少女を思わせる顔面を俗に言うほほえみに包んだまま蛍光灯に照らされて隅々にこびりついた茶色の粘着物まではっきりと確認できるコンクリートでできた四角くて狭いこの地下室の扉の前に立つ冗談に出てくるギャングの格好をした男へと視線を移し同じ質問を平岡に伝えるように指示して部屋から追い出した。

 鮫島は右手に掴んだこの不恰好な鉄の器械が自分の細く滑らかな陶器の質感を持った指の一本一本にこそ相応しいものだと考えていてそれに気づかない平岡が下品なアメリカ製の鏡のように磨かれた鉄製の銃身と象牙の持ち手に彫刻の入った「鍛えられたボディビルダーのよく締まる肛門に抽送される為に創られたディルドー」を贈ってくる事の美意識のなさになかば呆れながらその愚かさをいとおしく思っていた。

 今は椅子に貼り付けられ自発的に死ぬ事さえ出来ないこの男が何をして何をしなかったのかを鮫島は知らないし知ろうとも思わないが知ることができないというそれだけの事実には若干の苛立ちを感じていた。

 その苛立ちが原動力になってつまりあたしの慰安の為にあなたは死ぬがそのことをあなたは知っているのかとふたたび鮫島は答える事のできない肉の塊のに嘘と思いつきを織り交ぜて囁いた。

 男は勃起していた。

『GoGo』 第十話 『名前』

 気を失っていたのか眠っていたのか判別のつかぬ闇の中から彼女が抜け出すとそこはまだ狭い箱の中に違いなくやがて不愉快な揺れに頭蓋を振られながら痛む関節をのばそうと考えては学校と家の間に横たわる巨大な屍骸の肋骨に降る雪を思い出してその願いを打ち消した彼女が車のトランクに閉じ込められてから何度目かの尿意に耐え切れずに内臓の温度を保った体液を迸らせ衣服を纏わぬ全身を濡らした頃車が止まった。

 トランクの蓋を開けて男が言った。
「人は死ぬときに何を失うと思う。誇りか、違うな、誇りを保つための交流か、それも違う。人は死ぬと名を失う」
 冷えた外気が進入し、彼女の濡れた素肌をひきつらせた。
 名前をなくした彼女をトランクから引きずり出した男は、彼女を「エス」と呼び、山中の小屋の前に立たせた。
「今日からお前はここで暮らす」

 男は呼び名を持たなかったので「エス」は男に話し掛けることは出来なかった。
 最初の一日目に「エス」は獣の殺し方と捌き方と食い方を学んだ。男は寄生虫の存在について熱く語り、一日目の夜はそれで過ぎた。
 二日目は獣の見つけ方と捕らえ方を学んだ。これには時間がかかり「エス」が獣を口にしたのは三日目の朝だった。
 だから三日目は眠らずに眠る方法を学んだ。
 四日目に戦う方法を学び、五日目に人間の殺し方と捌き方と食い方を学んだ。
 六日目は記憶操作の方法を学んだ、男が「これ以上狂わないためには必要なことだ」といったので「エス」はやっと自分が狂っていることに気づいた。

 七日経ち、「エス」は風呂に入り服を着て町へ下りた。
 町のホテルで見たテレビが彼女の死体に暴行の痕があったことを教えてくれた。それが誰なのかは知らないが、犯されて殺された少女もまた、名を失ったのだと知った。

 かわらずあのときの記憶は曖昧だったが、ほんとうに殺したのかどうかもわからない殺人の汚名は既に見知らぬ死体が贖っていたし、血を啜る自分の姿には割と無関心でいられた。仕方のないことだと呟いて消すことの出来る記憶。
 「エス」の目の前を見覚えのある学生服の少年が角材をひきずって通り過ぎた。
 同じクラスに通っていた少年、名前はおぼえていない。
「そうか、あの子も死んだんだ」
「エス」がそうつぶやくと、男が微笑んだ。
「そうだ、みんな死んでいる」
 やがて雑踏の中へ二人は消えた。

『GoGo』 第五話

「今夜はよい月が出ているね」
 そう言うと、しばらく待ってから、あいつは手にした鎖を強くたぐりあたしに返答を要求した。あたしは返答を拒んだのではなく、たださっきあいつが吐いたものがあたしの口内には溜まっていて、口をひらくとあたしも吐いてしまいそうだったから、黙っていただけだった。
 この家に逃げ込んで裸にされてから、何時間経ったのかわからない。ひどく殴られたせいか頭はぼうっとしていたし、窓の外に見える月がどっちに出ているのかさえわからなかった。あいつは夕飯に何を食べたのだろう、甘くて苦い。あたしの嫌いなものは食べてないみたいだった。ソファに沈み込んだ体をおっくうそうに起こし、立ち上がったあいつが近づいてくると、あたしのなかでお母さんが泣き出した。あたしは濡れていて、それをあいつに指摘されるのを期待していた。

「お前くらいの細い腕でも、寝ている男の首の骨を折るのは簡単だ。確かにあの男を殺したのはお前じゃないかもしれない、だがこれから先お前が殺すのがあの男じゃないとなぜわかる?」
 あいつはあたしの中に右手の指を三本突っ込みながら嬉しそうにそう言った。指を途中でまげて掻き回す。あたしは息が苦しくなって、つい口をあけて中に詰まったものを出してしまった。あいつは何も言わずに左手であたしの顔を何度も叩いた。右手の動きはさっきよりもはげしくなっていた。叩かれるたびに眉間の奥でちいさなひかりが生まれた、くらやみで、ライターをこするようなひかり。体が勝手にけいれんしていた。

「犬はかわいそうだったか?お前は犬の為に泣いてやることができたのか?」
 あたしは殺した犬の顔が震える犬の顔が血みどろの犬の顔があんたのちんぽに見えてとてもかわいそうで泣いてしまったとか言って殴られたかったけど口が思い通りに動かなかったのでただ泣いた。

 新聞にはもうあたしの事が載っていた。もちろん名前も顔もわからないようにしてあるけどあれはあたしだと誰でも気が付くだろうしきっとあたしの家の周りは私服の刑事と新聞記者と野次馬が被爆地のように色分けされた層になってとりまいているだろう。中学生で女の殺人者はめずらしいから逃げてもすぐにつかまるに違いない。だからといってこの隣の家に住んでいる何の仕事をしているのかもわからない裕福な家庭の男に、隣の家の女子中学生に鎖をつけて犬を殺させる男に助けられることが、警察につかまることよりもあたしにとって安全だとは思わない。
 全ては平等に価値がなかった。
 
「お前には才能がある、人間としての力もある、本もよく読むしな。もちろん本当は、ペットとして飼うつもりだったんだが、それはやめよう。お前にはこれから、猟犬としての訓練をする、長くは生きられないかもしれないが、それは充実した人生になるだろう」

 二日後、床の上で寝ていたあたしに、あいつは新聞紙を押し付けた。新聞には、あたしと同じ年齢の女の子が、学校の裏で殺人を苦に自殺したのだと書いてあった。

 あたしは、死んだらしい。

『GoGo』 第二話

 少女の薄い腰を分厚い男の掌が掴んで離さない。
 小さな薄い壁でできた箱の中で彼女は話さない。

 女子中学生という記号的存在がこの社会で形骸的な意味しか持たなくなってからも彼女はそれに対する意味を考えた事が無いというそれだけの根拠をもとにその商売を続けていた。
「出していい?」
「中?」
「中」
「やだぁ」
「いいだろ、いいだろ」
「やだやだやだ」
「ああううもう出る、出る、出る」
 腰の動きが早まり、息遣いは荒くなるのに、男はいつまでたっても射精しない。
「出る、出る、出る、出る、出る、出る、出る、出る」
 最近彼女は時間の進み方におかしさを感じていた。
 やがて男は、うめき声をあげながら、何度か腰を強くうちつけ、彼女の上に倒れかかった。どっしりとのしかかる重みを避けるように転がると、彼女の股間から大量の精液が垂れ流れた。ティッシュペーパーで股間の精液をぬぐっていると、男の寝息が聞こえ始めた。
 彼女がベッドから下りシャワーを浴びしっかりと洗った膣内に精液が残っていないのを確かめて全身を拭いて制服に着替えてメモでも残しておいてやろうとベッドに戻ったとき隣に寝ていたのが見覚えのない男だったとしてもそれは彼女にとって驚いたり取り乱したりするような事ではないが今彼女が化粧の落ちた小さなまぶたを限界まで広げてのどの奥から何かをしぼりだそうとしているその原因は割とそれに近い。

 2時間後、彼女は総武線に揺られながら、どこでぶつけたものなのか、鈍い痛みを肩に感じた。
 天井をみつめる目。
 汗のひいた背中。
 彼女は必死で別の事を考えようとするが、つい昨日まで当然のようにできていた、自分にとって心地よくないものを記憶の中から締め出すという技術が、まったく失われている事に苛立ちと焦りを感じた。
 ベッドの上でうつぶせに横たわっていたのは見知らぬ男の死体だったがそれは死体というのが憚られるほどの自然さで天井を見つめていた。
 うつぶせに寝たまま天井を見つめていたのだ。
 彼女は床にちらばった万札をかき集め、部屋を出た。

 そのあとで彼女の脳内に破裂した記憶は昨夜のものではなく一週間前に殺した隣家の飼い犬の死ぬ直前まで目の前にいる見なれた女が自分を殺す為にバットをゴルフクラブの要領で振り上げている事に気付かず尻尾を振りつづけていたあの顔とそれを命じた隣家の主人の陰茎が程よく混ざった生物でそれはもううれしそうに彼女に向かって白くて柔らかい固形物の混ざった液体を吐き出していた。
 彼女はその中に薄く混ざった自分の経血を見ては何度も涙を流した。

『GoGo』 第十四話 『Q多面体』

その時、その瞬間にわかっていることは驚くほど少ない。
そう、例えば名前、この僕を僕として知るための名前。

今僕が知っているのは僕があの女教師を角材で殴り殺してしまったということ。
殴り殺したその女教師と僕には関係があったということ。
殺人はくだらない理由で行われることが多いが、これほどくだらない理由も珍しいのではない。
あの人は死にたがっていたがそれは本当ではなかったのかもしれないと今僕には思えるということ。
そして僕が女教師を殺してからすぐに起こったできごと。
人を殺して自殺した女子の死体に暴行の痕があったと報道されたその日、僕は街でその女子とすれちがった。
隣にいた男のあの目、冥くて深い黒の闇。

今僕の目前にいる男の灰色に濁った眼球の遠く及ばない美しさ。
殺人者である汝が息子に刃を向けるお前。
お父さん親父パパダド。チチオヤ。
五十がらみのやせた小さな男。
「お前を殺して世間に詫びる」と怒鳴りやがる。
後頭部が歪むぬるりと這い上がる殺意。

今僕が知っているのは僕の右手親指が父親の左瞼の下に刺さっているということ。
父親が右手に持った刃が僕の脇腹に刺さっているということ。
路地裏で繰り広げられる惨劇。喜劇。
みっともない、親子で何をやっているんだ。
僕は死ぬかもしれないということがわかっている。
親父がわかっているかどうか僕にはわからない。

わからないことは怖いことだ、死んだら人はどうなるのか。
  死んで腐って土になって燐と窒素、植物の栄養になって。
    お父さん僕はお父さんが好きだったよ。

    お父さんは戦争に行く前は学校の先生をしていてとてもやさしいと評判だった。
    けれど戦争から帰ってきてお父さんは変わってしまったらしい。
    僕は戦争お母さんを殴るお父さんしか見たことがない。
    お母さんはいつも言っていた。
    お父さんは本当はやさしいのだ戦争があの人を変えたのだと泣いていた。
    今の僕にはわかるよお父さん本当は殴りたくなんかなかったんだ。
    お父さんも怖かったんだね。

  今僕の目前にいる少年の蒼く澄んだ眼球の美しさ。
  殺人を犯した汝が父親の眼窟に指を埋め。
  おまえ息子愚息我が子。マサヨシ。
  十六歳の小さな体。

今わかっていることはひとつ、僕たちは死ぬだろうということ。

『GoGo』 第十二話 『Q/F』

 拳を堅く握りしめて壁に打ち付ける事で心の平静を取り戻そうとした。
 私の視界が狭まり脳の内部が奇妙に歪む。
 怒りは発作のように思考を循環させた。
 息子が殺人者であることを知ったのは三日前のことだ。
 十六才中学三年生男子学校女性教諭殺撲殺逃亡潜伏現在尚逃亡中。
 私は何度も何度も何度も何度も拳を目の前の壁に打ち付けた。

 テレビではまだ報道されてはいないこの事件が厭らしいマスコミの掌で撫で回され弄ばれる様を想像しては嘔吐感に苛まれる大学教職五十二才男子一生の仕事として人間の育成に励んだ結果がこれかと笑い声が聞こえる父親の声「おまえなど一生助教授のままだ、テレビにも出られんくせに一端の口をききおってこの若造が」わかってないわかってないよお父さん僕の仕事はそういうんじゃないんだ殺すんだったら俺を殺せば良かったのになぜ他人を殺したお前の人生を肯定してやれば良かったとでも言うのかふざけるんじゃない口ばかり達者になってお前が口を開く度に俺はお前を殺したくなったものだやめてくださいお父さんマサヨシの前で母親のことを悪く言うのは止して下さい学校にも行かないでそのパソコンを誰が買ったと思っているんだお前誰のおかげで生きていると思ってまさかそんな口論が原因で第一それなら殺されるのはやはり私では何故教師を殺した蛆虫め寄生虫め俺の遺伝子から何故お前のような屑が生まれたのかやはり母親が悪かったのかあの売女若い男に走ってこの俺を馬鹿にした事を後悔させてやる一生この傷は消えない傷つけられたのは俺だ可哀想な俺が殺さないでいるのに何故お前は殺した殺したいのは俺のほうだ社会の道理も解っていないくせに何故俺の否を責めるうるさいお前とは口をききたくない黙れ黙れ何が悪かったというのだ俺は間違っていなかったお父さんやめてお母さんを殴らないでと何故あの時言えなかった俺は只部屋の隅で震えていて暴力だけは振るうまいと心に誓ったその俺がいつ怒鳴った叫んだお前は何故そんな目で俺を睨むお前に俺の気持ちなど解るものか黙れ寄生虫が誰のおかげで生きていけると思っているんだそんなまさかそれだけで人を殺せるものか俺が俺が罵った所為で人殺しをしたなんてそんな馬鹿なことが刑事さん止して下さい本当にそれが原因なんですか特定はできないでしょう息子は通院歴もあったし最近はカウンセリングも休みがちでインターネットばかりしていて私は覗いたことはないがあれは治療には向いていないどうしてそんな目で見るんです刑事さん私に責があるとお考えですかそんな馬鹿な社会的にも地位のある私に責任が。

 刑事が帰った後で私は何度も拳を目の前の壁に打ち付けた。
 だんだんと頭が冴えて来た。
 殺してしまおう。
 どうせ俺の種だ、殺してしまおう。
 警察が見つける前に俺が殺してしまえばきっと世間もお父さんも僕を
 一人前の男だと認めてくれるだろう。
 そのあとでお母さんに許してもらおう。
 そうだ、それで決まり。

『GoGo』 第九話 『Q防衛線』

「ヴァああオヴぇヴぁヴおぉぁあああああぃぃぃぃ」

 ラジオからの声に耳を澄ませていると東の空からひとすじの電波がやってくる。
 そう、あれは神のしもべ、私達を救う。
 どんなに遠くても助けに来てくれる。
 どうしてあの時僕は助けてあげられなかったんだろう
 君が前にかざしたてのひらとその指にひかる銀の指輪僕の降りあげた-
 角材が風を切る。
 橋の中程に隠れているとやがて自分が逃げていた事に思い至ります。
 手のひらの傷は埋まって消えてぽろぽろ剥がれてゆき-
 僕はそこに傷などないということを知る。
 天気予報で云っていた。
 明日は、はれるって

「すばらしいあさがきたきぼうのあさだ」

 昔の事は忘れましょう庭にお花を植えましょう
 恋をしましょう。

 どこか別の場所に逃げなさいってTVが云うので、
 TVはいつも正しいので、僕は云うことをきいてどこか遠くへ。
 角材が風を切る逃げた先に川があってああここを彼女はわたったのだろうなと思いました。
 でも深くて沈んだ。僕はわたれなかったのです。
 クラスのみんなはお元気ですか、お身体に気をつけて。
 僕は大丈夫。
 大丈夫だからといったのに、彼女は僕に薬を飲めという。
 薬を飲まないとだめだという。彼女は僕の母親でした、恋人でした、娘でした、僕でした。
 空高く捻れてゆく鳩を追いかけて公園まで来ますと僕を見て指をさして笑いますから僕の握った角材が風を切る。
 花をつむ少女、花輪、かりん、かリン。
 白いかけらがぐつぐつあふれる鍋から覗いてそのまわりに黒い髪の毛、黒い髪の毛がみっしりと。